友人と語る 2007年10月7日

友達は多いほうかといわれるとそうは多くないのですが、信頼できる友人がいるかと聞かれると何人かいることを思うと、自分は割と恵まれたほうなのかなと言う気がします。今でも特に仲がいいというか親友とは交流があって年に一、二回はあって語ることもあります。

そんなときに思うのが、学生時代の友人は特に今付き合いがある友人は自分にとって何よりの財産の一つだなと思うときがありますし、かけがえのない存在でもあります。そんな友人から2〜3週間前に相談したいことがあるという連絡がありました。

元々相談事をあまりしないタイプの彼だったので気になっていました。一度連絡を入れたときにはちょっと立てこんでいる感じがしたのでしばらく様子を見ていたのですが、やっぱり気になっていたので私から連絡をしました。

ちょうど用事があって都心に出ていたこともあってお互い時間が取れそうだから会うことにしました。半年振りに会った彼からは疲れきった表情がにじみかなり参っている感じ足しました。真面目でどんなことに対しても真剣にやる彼の姿勢は見ていて尊敬できる面でもありますが、時々心配になることもまたありました。そんな彼を目の前にしてとりあえず落ち着いたところで話すことに。

はじめは相談事というから仕事のことかな?と思ったのですが、内容は家族のこと。いま彼自身家族で多くの問題を抱えてどうにもこうにもうまくいっていないというのです。家族のあり方はこうだなんて説くことはとてもできませんが、それでもお互いが信頼をし合ってきづいていくものであることには変わりないのではとおもうのですが、どうもそのあたりが難しい段階になってしまったようです。

詳しくはかけませんし、彼自身のプライベートなことなのであまり触れられませんが、話を聞くにつけもうこれ以上は彼自身がボロボロになってしまいそうで聞いていてちょっとつらかったです。それでも話せるようになったこと自体は彼にとってだいぶ楽になったようでちょっとホッとしていました。

自分たちの身の回りでもこういった問題が横たわるようになったんだなと感じたのが一番。まして自分の親友でと言う感じです。人が生きていくということはいろんな人と関わりをもち持ちつ持たれつその関係の中でバランスをとって生きていくもの。

考えてみればそれは突然壊れてしまうこともあれば強固の支えあうこともある。ただ思うのはそういう時事象に対してあるいは、いき方そのものに対してどう対処していくかかなと思います。私にってできるかぎりのことはしてあげたいけれども、最後は彼自身がどう決めるかにかかっているのかなと思います。

人間がそこに生きていくということそれはその人それぞれの価値観をもっていきているということ、同じ日本人であり、共通概念をもっているとしてもひとはその関係性をきづいていくことの難しさ。それでもなお人は気づいていかなくてはいけないと思います。建前や体裁ばかりを気にしていくのではなく、本気でぶつかり合うことでしか結局は気づけないものだと思うから。

どちらにしてももうすぐ一つの答えが出そうです。どうなるかは分かりませんが、それでもそれを自らの手できちんと選び取り覚悟を持って生きていく彼を思うと、どんなことが待ち受けていようとも、味方として力になってやりたいとつくづく思いました。


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