危険への認識 2007年10月21日

子供のころ、私たちが遊んでいた場所と言うと、公園であったり路地裏だったり、あるいは「探検」と称しては工場の倉庫だったり、工事現場なんかで遊んでいた記憶があります。今のように町は整備もされていなかったし、今でいう危険なものなんてものはそこら中あった気がします。それでも別段とんでもない事態に陥るような怪我はしなかったし、なんかあっても皆で対応したような覚えがあります。

安全基準を厳格に定めて、人々が安全にすごす街づくりだったり、建物の建築にいたってももちろん必要だと思います。そういった意味からすると、今回のエスカレーターの事故に関しては、安全基準がきちんと満たされていなかったわけですからこれは問題だと思います。

とはいえ、厳格な絶対基準をどのように設けるのか?と言う問題になると、これもまた難しいのではないのかなと思います。業界団体の「日本建築設備・昇降機センター」によると、この3年間をみても30件を超える事故がおきているといいます。それまでにも、建築基準法を改正し安全性を高めてきて結果なわけでです。

例えば、今回のエスカレーターの事故によると、手すりから板までの間隔は14.5センチ。告示では保護板の設置を手すりと壁などの距離が50せんち以下の場合と規定しています。つまり広げれば手すりに子供が乗ってしまいやすくなるし、狭めると今回の事故のように頭や手をはさまれてしまう危険性が出てきます。したがって絶対的にこういう基準を設けましょうというのは、現場の安全認識によるという部分が大きくなるわけです。

したがって、書面による基準ではなく、公共性が高い乗り物はその場にあわせて、きちんとした安全基準を考え安全柵を考えなくてはなら無いのではと思います。それと同時に思うのが、利用者への安全意識の喚起も十分に行うことも大事かなと言う気もします。

もう一つ思うのは、利用者側の危険への意識。先ほど自分たちの子供のころを例にあげましたが、今思うと危険なものばかりがあった気がします。それでも怪我や事故が少なかったのは、危険に対する意識の能力も高かったように思います。

それから、絶対に危ないものに関しては、親にもこっぴどく注意されたこともありました。危険なことは、日常に必ず潜んでいるということ。それは、もっと親が注意してみてあげる事も大切なことだと思います。娘を育てながら一番思うことは、子供の動きはすべてが例外。特に外に出たとき、思わぬ危険があるということを認識しておかなくて那いけないのではないかなと思うのです。

もっと注意を促し、あぷないものに対することを教えてあげることは、勉強を見てあげるのと同じかそれ以上に大切なことなのではないのかなと思います。

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